特殊鋼メーカーエキスパートの経験を活かして企業の技術顧問として活躍

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渡邊 敏幸さん

名古屋大学工学部金属工学科卒業後、大同特殊鋼(株)入社。
中央研究所に17年勤務、製造部門、技術営業を歴任し、自動車用特殊鋼の一貫生産ラインを完成させた。
併せて競争力のある自動車用殊鋼の開発し、拡販を達成した。
最高職位常務取締役を務め、70歳で退任。
その後、新素材のベンチャーを立ち上げ、シリコンを使用した新たな合金の開発に取り組んだ。
特殊鋼の研究開発生産から客先への実用化までを50年以上に渡り実践した特殊鋼、および金属系素材の専門家。
現在2社の企業の技術顧問として活躍。

定年退職は「はじまり」

三上 まずは簡単にご経歴をお話いただけますか?
渡邊さん 特殊鋼専業メーカーに43年間勤め、70歳で定年退職しました。
私にとっては定年退職はキャリアの終わりでもなんでもなくって始まりだったんです。私にはやりたいことがありました。
私は長年鉄鋼産業に携わってきましたが、鉄鋼って言うのは資源の大量消費ビジネスです。資源は有限ですよね。近い将来鉄はなくなるんです。
しかも余り知られてはいないことですが、鉄鋼の生産にはエネルギーを大量に使い、CO2を生産量の2倍排出するんですよ。
鉄鋼産業は産業革命以来、社会の重要な役割を担ってきているけれども、地球にとってはどうしようもない産業になりつつあるとずっと思ってきました。(笑)私は鉄鋼メーカーを卒業するに当たって、新しい資源、地球環境に優しい資源に着目しました。
具体的には砂、シリコンです。実は地球上の70%が砂や砂漠であり、これらはシリコン原料なわけですよ。
シリコンから鉄と同じような合金が作れたら面白いなと思っていたのです。

定年退職間際にシリコンから合金を精製できる技術を知って、勉強して退職後イスマンジェイという会社を立ち上げました。
私が常に考えているのは、資源どう確保し、有効に使うか?ということなんです。
ただし、その会社は10年でつぶれてしまいました。。
この事業は初期の設備投資がかなり必要でした。
燃焼合成装置を四基設置して、月産10㌧の生産工場が完成、
量産体制を整えるところまでは何とか持って行きました。
ところがリーマンショック後に見込んでいた受注が取れず、資金ショートしてしました。

現在は法的処理が全部完了し、設備も他社に売却しています。
私のチャレンジは事業としては成立しませんでしたが、鉄に変わる新素材を開発することは、
未来の地球環境にかかわる社会的に大きな意義のある分野だと思っています。

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徹底的に過去を振り返り整理した職務経歴書

三上 では企業経営をされた後はどのように活動されたのですか?
渡邊さん 会社倒産後は、一年半ぐらい自分の過去を振り返る時間があったんです。
その間に自分の実績や得意分野などを徹底的に整理して、職務経歴書に反映させました。
その後かなりの数の人材サイトへ登録したんです。
そうしたら松平さんがお声掛けくださいって。
松平 そうですね。渡邊さんの職務経歴書は実に整理されていました。
ひとめで何ができ得る方なのかわかる内容でした。
実はこのような職務経歴が書ける方は多くはいません。
ほとんどがただダラダラ書いていて、「で?何ができるの?」となってしまう方がほとんどなんですよ。
渡邊さん そうなんですか。
三上 渡邊さんが求職活動する中でご苦労されたことはありますか?
渡邊さん たくさんありますよ。まず年齢ですね。
定年退職後の人間はリタイヤ組として一線引かれてしまう印象でした。
でも実際は、スキルも経験も年齢の若い人と比べても劣ってはいないんだから、
その価値を認めてくれる職場が見つかるかどうかですね。いい場所を必死で探さないとだめです。
三上 今のお仕事の内容を具体的に教えていただけますか?
渡邊さん ジーニアスさん経由の業務委託契約である鉄鋼メーカーの技術顧問として、週1日勤務をしています。
具体的な役割としては、技術営業のアドバイザーです。
もう1つはある精密機械メーカの材料開発のアドバイサーです。週1日の勤務です。
共通して云える事は、資料作成は自主的自宅業務であると云う事です。自宅では長時間パソコンと向かいあっています。
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「本質を見なくてはいけない」ということ

三上 渡邊さんは、日本企業の技術統括、ベンチャー企業の経営者、外資系の顧問と働き方が大きく変わりましたが戸惑うことはありませんでした。
渡邊さん ないです。
仕事を行う上でのベースは同じです。アウトプットが違うだけですよ。
私の場合は素材、材料をよく理解していることが強みです。
若いころから材料の本質を追求してきました。
そのベースのスキルや経験を用いて、立場を変えているだけだと考えています。
三上 世代によって担うべき役割が違いますよね?20代は仕事を覚える、30代は仕事を作る、40代はマネジメント、企業の中ではこの中間管理職が重要な役割を担うと思うのですが、40代の課長クラスをどう育てればいいと思いますか?
渡邊さん 私は技術の人間なので、技術面から言うと「本質を見なくてはいけない」ということなんです。
自分自身もそういう風にトレーニングしてきましたし、「何か本質なのか?」「ユーザーは何がほしいのか?」ということを
常に頭に置かなくてはいけない。

土台作りの経験がない今の現役世代

三上 渡辺さんの世代の人と、現役で働く人と働くスタンスは違いますか?
渡邊さん 本質を追求していないように感じています。今はマニュアルが出来上がっているから、そのとおりやっていればモノができるんです。
もう設備はあるし、新規投資して全く新しい設備を作る時代でもない、そうなると自分でマニュアル作る経験がつめないんですよ。
それが崩れたときは大変ですよね。新しく工夫してその壁を乗り越えないといけない、そのアウトプットとしてマニュアルがあるのですが、マニュアルは一から作った経験がないと作れません。僕らの若いころは、マニュアル作り土台作りからやらなければいけない時代でした。
本質を考えて、新しいものをクリエイトしなければ自分達技術部門の存在価値はないんですよ。
その経験が私のベースを作っていますし、自信に繋がっています。
但し、このような経験を積むためには時間が必要です。
今の人たちはその時間を十分与えられていないと思います。
ビジネスのスピードは加速度的に早くなって、技術がすぐに陳腐化してしまう。
だから、なおさら時間がない、会社の余裕もない、かわいそうな面もあるかもしれない。
三上 確かにビジネスのスピードが速くなっていますね。それを感じるエピソードがあれば教えてください。
渡邊さん 私なんて、17年間研究所にいたんですが、入ってすぐ研究所の所長の直の部下になって、好きに実験やっていいといわれたんです。
所長から「こういうものをつくりなさい」と。方法は好きにやりなさいといわれた。当時はこの様な余裕が企業にあったのですね。自分で全部で0から考えてやるんです。
ゴールにたどり着く方法をさまざまに考えていると、それに関連した事象が出てきます。
それをまた勉強し、研究すると新しいアプローチや新しいものが生まれるんです。
やはり新しいものを生まないと面白くないでしょ。

その研究所で培った経験が、その後の礎になっていると思っていますよ。
そこで材料の本質もわかったと思います。

今やっている仕事を自分の仕事として完全にマスターすること。

三上 渡邊さんのような方は会社の看板取れても問題ない、それに引退しても生活できる。
今の40代50代の方って年金も少なくなるだろうし、一生働き続きなければいけないと思うんです。
ただ、会社に就社しているような意識だと看板が無くなった後に一生働くのは難しいですね。
そういう人はどのように働き方や、考え方を変えればいいと思いますか?
渡邊さん まずは、今やっている仕事を自分の仕事として完全にマスターすること。
会社があるから存在する仕事ではなくって、自分がいるからこの仕事はあるのだという風にならなくてはいけない。
その会社やめてもその部分で生きていける、自分はこれが得意だという部分を見つけて、そこをとことんマスターする事じゃないですか?
三上 専門性をどこで発揮するのか?何を身に着けるのか?つまり、自分自身の目利きですよね?
ただ、それが難しいですよね。会社も個人に合わせて部署移動などを考えてくれるわけではないから。
渡邊さん 自分の特徴、スキルを社内の言葉でなく、外部から見て理解できる言葉で自分の仕事を表現する。
そうすると売りになるんですよ。会社の言葉ばかり使っていると、外では通用しませんからね。会社の中での仕事を意識して明確にする事です。
あとは会社以外の横のつながりを持っておくということですね。
同業が集まるセミナーで公演したり、専門家というものは自分からPRすることも大切です。

そういったことを意識して業界紙に寄稿するとか、特許を書くとか、できることは無数にあります。
自分の専門性を定義して、外に向かって発信しなくてはいけないと思いますよ。

浅井 専門性を身に着けたくても、会社の部署移動などで分野や職種が短期間で変わってしまう場合ありますよね?
たとえば3年ごとに部署が変わってしまうといった場合どう専門性を身に着ければいいんですか?
渡邊さん そういうのは一番いいんですよ!ジェネラリストになれる。
3年あれば相当のことが身につきますよ。その分野の本質を理解するということがポイントです。
つまり目的を意識して仕事をするということですよ。
目的が何かということ。ミッションの目的がなにか?を常に意識しながらそれを達成する方法を考えることです。技術だけの話ではないですよ。営業だってどういう顧客と付き合ってきたのか?顧客情報はとても重要です。
また扱っている製品のことも本質的に理解できていれば、それは立派なスペシャリストです。

「年表」をつけるといい

三上 さきほど過去を徹底的に振り返ったとおっしゃいましたが、それは会社に勤められていた43年間の間もされていましたか?
渡邊さん いえ。一切していません。
そのため、何年に何をやったのかを思い出すのが大変でした。
日記みたいに細かに残すことはないですが、「年表」みたいなものは作っておくといいかもしれませんね。
何年かごとに付け足して書いていくといいんじゃないですか?
その時は、これぐらいのこと思い出せると思っていてもいざとなると忘れてるんですよ。
自分の経歴を眺めていると、ある時期を前後に業務内容は変わっても、その本質やスキルは連鎖しているように見えることがあります。
このように自分を振り返ることが出来るツールを持つことで、自分の専門性や得意分野を見つけるヒントになるかもしれませんね。

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