75歳まで働くため京セラを退職し“ひとり社長”に

 65歳以降の生活を熟慮し、55歳で京セラを卒業、“ひとり社長”の道を選んだのは、合同会社オフィスTARUの上水樽(うえみずたる)文明氏(62)だ。上水樽氏は75歳まで仕事を続けたいと思い、そのためにはまだ体力・知力が十分な55歳で再スタートしようと考えた。理由は2つある。ひとつは郷里鹿児島の母親を介護するため、居住する千葉との二重生活には時間が自由になる働き方をしなくてはならないこと。もうひとつは、定年後も住宅ローンが残り、65歳以降の年金収入だけでは心もとないことだ。
(zakzak 9月9日)

シニア起業は珍しくなくってきた。それでも起業にはリスクが付きものだが、シニア起業で成功する人は、ローリスク・ローリターンで着実に収益を上げることを目標にしていることが多い。この記事で紹介されている上水樽氏は月額10万円の利益を継続しているそうだ。年金を受給しているひとり社長であれば、それで十分なのかもしれない。

ローリスク・ローリターンとは言うものの、事業を継続するには、リスクを減らしてリターンを増やす努力は欠かせない。それは、社長業として避けて通れない試練ではあるが、社長ならではの楽しみでもある。安定よりも不安定を楽しむのも若さを保つには良い。

上水樽氏の場合は、京セラ時代に培った宝飾品販売のノウハウを活用することで、投資対効果を上げている。今までの仕事と同じ業界で起業する必要はないが、経験やノウハウを活かせる世界で勝負するのは、賢明な判断だ。