「老い=衰え」だけなのか 補い合う関係、ポジティブな社会への道

大阪・関西万博で未来をのぞいてみた。まず大阪ヘルスケアパビリオンで「25年後の自分」と向き合う。カメラの前で健康データを測定した後、目の前に現れたのは80歳を超えた自分のアバター。不思議な時空の旅のようだ。
次はシグネチャーパビリオン「いのちの未来」。ロボット工学者の石黒浩大阪大学教授がプロデュースした館だ。人工知能(AI)やロボットとの融合が進むと、人類は生身の体の制約から解放されるという。「50年後の未来」では、人間とアンドロイドが共生。人の脳をコンピューターとつないだり、遠隔操作するアバターで活動したり、生き方は今よりずっと自由になる。
(日本経済新聞 8月17日)

老いという言葉には、年齢による衰えというニュアンスも含まれている。したがって、もともと老いと衰えは近い言葉だ。ただ、新しいテクノロジーによって、年齢による衰えは、軽減されつつある。今日では、歳を取ったからといって、必ずしも衰えるわけではない。死者の画像や音声を学習したAIが、生前と同じように遺族と対話を続けるサービスも既に商用化されている。技術は、老いだけでなく、死をも乗り越えたのかもしれない。

物を動かすというような物理的な能力も、ロボットが進化すれば、人間の衰えを補うことができる。さらに、ロボットとAIが融合したフィジカルAIが実用化されれば、複雑な動作を自律的に行う機械が誕生する。臓器のような生理的な器官も、再生医療が発達すれば、交換可能になる。

こうした技術の進歩は、高齢者の活動の自由を拡大し、高齢者の働く場を広げる。技術革新によって失われる雇用もあるが、一方では、新技術の普及が、高齢者の雇用機会拡大につながるという面もある。テクノロジーの未来に期待したい。