シニアのための脳の話②―不思議な感情

私の若い頃に好きだった作家の一人に高見順がいる。戦後期に活躍した著名な作家だが、既に亡くなって久しいので、今の若い人は余り知らないかも知れない。
タレント高見恭子の父親と言えば分るだろうか。いや、娘の高見恭子も既に50代だから、どちらも知らないかも知れない。
そのぐらい古い話で恐縮だが、まだ比較的若かった頃の私の心に刻まれた或るエピソードがあるが、それは高見順に始まる。

高見順は若い頃、川崎駅近くの日本コロンビアに勤めていた。その頃の彼は、来る日も来る日も川崎駅の勤労者の人波の中を工場に通っていた。
その後作家となり、既に60歳近くになっていた高見順は、ある朝、同じ川崎駅に降り立ち、会社に通う勤労者の群れを見た。ラッシュアワー時これから一日の仕事に向かう勤労者たちの顔は憂鬱気で活き活きとは見えない。
彼は若かった頃の自分を思い出す。そして心の中で
「勤労者よ。君たちがうらやましい。君たちは今日も元気で会社に行ける....」
「ここにいる私を見てくれ。私はこれから癌病棟に入りに行くのだ。」と言う。
癌が死の宣告に等しかった時代の、彼の晩年の詩集「死の淵より」に収められたある詩の内容である。
日本コロンビアに通勤していた頃の高見順は文学を志しながらも、まだ認められず、苛立ち、悩み、疲れていた。しかし、死を予感した高見順の眼には、若い頃のそうした姿も、また何もかもが、愛おしく、かけがいのないものに映ったに違いない。

まだ若かった頃、仕事が過重で心身の負担を感じるような時、私はこの詩を思い出して、元気で働けている自分を慰め、励ましたものだ。
生きていること、働けることはありがたい。
それを実感する事件があった。危うく死に掛ける目に遭ったのである。命に別状がないことがわかってからも、後遺症が残らないかと心配した。
幸いにも元の元気を取り戻し、通勤を始めた。
冬の寒い朝、私はバス停で冷たい風に吹かれていた。耳や襟元や指先が冷え切って来る。にもかかわらず不思議なことに、普段は不快にしか感じられないその冷たい風が、生きているのだというしみじみとした感情をもたらしたのである。
しばらくは、朝の通勤の度にその思いに捕えられた。その後、その思いは次第に薄れていったが、その後も冬の寒い朝に不意にその感情を思い出すことがあった。

後に、脳に関する本から、この不思議な感情のヒントを得た。
人間の「感じ方」は大脳辺縁系と前頭葉の二つから成っている。
古い脳である大脳辺縁系は「快・不快、恐怖、怒り」をつかさどっている。一方、新しい脳である大脳皮質の前頭葉は「感情、思考、価値観」をつかさどっている。
動物は前頭葉がほとんど発達しておらず、快・不快、恐怖、怒りを感じて生きている。人間も赤ん坊のうちは快・不快は感じるが感情はなく、成長するにつれ、喜びや悲しみ等の感情や価値観を持つようになる。
私の大脳辺縁系は冷たい風をあくまで不快ととらえたが、私の前頭葉が大脳辺縁系から送られた不快信号を生きているのだという実感に転換した、と解釈できる。

価値観によって、同じ状態がうとましいものにも好ましいものにもなる。客観的な人生の実相があると言うよりも、価値観を通して感受したことが人生の実相だと言えなくもない。
いずれは死ぬ人生、精一杯、より良く感受して生きたいものである。