自由の世界に遊ぶ達人

kamome

I氏は大手自動車会社のエリートコースを歩んでいた。国際事業畑で経験を積み、北京に駐在し中国向けビジネスを数年に亘り統括した。油の乗った時期であった。
しかし、帰国直後に待ち受けていたものは、会社が外資に買い取られるという事態だった。考えても見なかったことだが、グローバル化による大競争時代の現出が多くの大手や老舗をも呑み込んで行く時代で、それが自分の会社に起きた。
外資は旧来のやり方を徹底的に変えた。彼が勤めていた大手自動車会社はそれなりのカルチャーを育んで来た会社で、社員のプライドも高かったので、それを崩すためにショック療法が採られたようにも思えた。
そんな或る日、I氏が私を訪ねて来て「会社を辞めることにした。」と言った。
会社が平穏ならば、これからという時期での突然の辞職であった。いろいろ事情があったのだろう、自分を曲げてまで働こうとは思わなかったようだ。
少し経って仲間で集まった際に、「辞職後はどうするのか」と聞く仲間に、「これからは自ら遊ぶ人、自遊人となり、好きなことをして行くさ。」と答えていた。
別の働き口を見つけようとすれば、それも出来た筈だ。しかし、彼はサラリーマン生活に踏ん切りを付けてしまった。

若い頃油絵を描いていた。その油絵を復活した。また藤沢近郊の庭の広い家に住んでいたが、その庭に窯を作り陶芸を始めた。陶芸に打ち込む、それが彼の選択だった。
彼が陶芸を始めてから、時々仲間で会う機会があり、彼の作品の写真を見ることはあった。しかし、サラリーマンを続けている仲間にとっては、陶芸は退職後の趣味の一つぐらいにしか考えなかった。
年数が経つほどに、彼の陶芸がだんだん本物になっていった。陶芸愛好家を率いて作品展を催すようになり、私も作品展を見に行くようになって、その出来映えに感心した。いつの間にか立派な陶器を創るまでになっていた。
彼の元に集まった陶芸愛好家の人たちは元大手のサラリーマン・公務員・教員など様々で、気の置けない仲間たちとの交流を大いに楽しんでいる様子でもあった。

昨年、上野美術館の創造展に彼の作品が出品された。複数の陶芸家の推挙があって初めて展示される。I氏は名のある陶芸家に認められており、陶芸家の世界の入口に立っていた。
今年も連続して創造展に出品した。古典の流れをくむ静謐でどっしりした花卉を出品したが、それが数多くの他作品を抑えて新人優秀賞に輝いた。
大手の会社の上級管理職を辞任し、陶芸を始めて10年目。快挙である。

作品を創る時は一心不乱に作品に向かい合うと聞いた。サラリーマン時代の彼は仕事のできる酒飲みの社交家で、少なくとも私の眼には芸術家肌には見えなかった。人間判らないものだ。そこが面白くもある。

この10年の間に、I氏はいろいろと自分の世界を拡げても来た。
蕎麦を栽培して蕎麦打ちをする。種まき・収穫・製粉・蕎麦打ちを全て独りでやってのけ、蕎麦を仲間に振る舞って宴会を催す。徳利も杯も盛り皿も全て自分の作品である。
近在のブドウ農園に手伝いに行き、ブドウを貰ってワインを醸造する。自分でブドウを栽培することも出来るが、それでは小規模でつまらないので、ブドウ農園を手伝う方が面白いのだそうだ。ワイン醸造は難しい。しかし彼は熱心に研究してワイン醸造にも成功した。
地ビールも作る。それでまた仲間を集めて宴会をする。
楽しい人生ではないか。

ある時彼と飲んでいる時に、重度の障害児たちに絵画を教えていて自治体から表彰されたと聞いた。そういう一面があるとは知らなかった。私の窺い知れぬところが、I氏にはまだまだありそうである。
私の想像の及ばない広い自由な世界に遊んでいる風情だ。
10年前「自遊人になる」と言ったあの時の言葉通り、彼は本当に自遊人になった。