-第3回-人の役割と強み

tsutsumikanban

「仕事」の3回目で一区切りする機会に、字引で「仕事」を引いてみる。

「仕事」 ①するべきこと、しなければならないこと
②生計を立てるために従事する勤め。(大辞林)とある。

確かに人は生きていくためにしなければならない「何か」を見つけて、
それをすることによって生計を立てる。
ということは、仕事をし、誰かからお金を貰って必要なものを買うのだ。
自分も社会に出てからずっとそうしていたのだな、と改めて思う。

そこで、その「仕事の中身」を考えてみる。
私の場合、兄、姉に続く第3子で、大学も地元でないと無理だろうし私立は3人目となれば厳しいので官立一本を目指す。
と言って、役人はなりたくない、金融業は好きではないという消去法で、
なんとなくメーカーがいいように思って、どうやら希望の会社に入り込むことが出来た。

考えてみると実にいいタイミングだったのは、
その会社は新製品への参入が遅れ、同業者からは「老大国」と揶揄されていたものを、
前年社長に復帰した大物社長が新事業参入を決め、まさに新工場が動き出す時期だったのである。
工場で数年、寄宿舎係から資材係と事業の基本構造を教えられているうちに、
新事業が快調に動き出し、営業に人を集めよという大号令で、
工場でまだ下働き中のわれわれが放出され、技術革新、IT化に苦労し、
右肩上がりの環境に助けられて、仕事が個人の成長を鍛えてくれたものと有難く思う。

「無我夢中の20年」の間、資材、営業、事業管理、開発等、経理以外の事務系業務は
ほとんど経験し、なんとか一人前の管理職をするようになった。

このまま進めば人生何事もなく、このコラムを書くようなご指名もなかっただろうが、人生に想定外は常におこる。

まったく違う職務への転換で、重要な新しい経験を幾つかさせていただいているうちに、
バブル崩壊の先駆けだったのだろうが、一つの営業事故に遭うことなり、
職務を辞任、会社を退職することとなった。
「蟄居閉門」を絵に描いたような形で、する仕事が全くなく謹慎しているというのも大変なことで、どうしようもない。

こんな時に有難いのは古い友達で、「勉強でもしたら」というものが
中小企業診断士と産業カウンセラーへの挑戦であった。
早速、計画を立て、猛勉強を開始10か月経過して2つの資格が取れるころに、
現在の仕事である職業紹介会社に就職することになった。

このように仕事への出会いのつながりは、まさに「ご縁」というしかないようだが、
実は、単にラッキーだったではなく、充分に準備し慎重果断に行動した者に、
ご縁は微笑むのである。

大切なことは、自分の「強み」をよく考え、その強みを生かし、文字通り活用してくれる「仕事」というよりも、
その仕事の中にどのような「役割」があるだろうか、役割の内容が、自分の強みに本当に適合しているだろうかを考えた上で、
その仕事をしている会社をよく調べ、そこに何かの「縁」を感じたなら、入社するのである。

ここで肝心なのは、仕事の中の「役割」を具体的にイメージし、
その役割を毎日の仕事としてやっていけるか、納得いくまで、よく考えることである。
それが、簡単にできるか、という苦情がありそうで、そこで専門家に相談する必要もあるのだが、
いろんな苦労をしながら、「自分の強み」と仕事の中の「役割」の関係を
見つけることがどうしても避けられない道なのだ。

上に書いた「私の履歴書」をよく読んでみると、何が手掛かりであったかが見えてくる。
権力や金力を振り回すのは嫌、人を大切に、人のいうことは素直に聴く、
目的が出来ると一心不乱に努力する、人は信じるが、細かいところにはこだわらず、それが、失敗を招くこともある。
しかし、くよくよしないで前向きに受け止める。
要するに人生に無駄なことは何一つない、と楽観的に考えよう。