日立社長交代―日立はどこへ行くのか?

hitachinoki

新社長は現専務東原氏

日立製作所は2014年3月決算で過去最高益を出すと見られている(1/31日経新聞は連結営業利益5100億円を予想)。

長らく低迷して来た日立にようやく春が来た。この業績は中西宏明社長(67歳)の強力なリーダーシップあってのことだが、
日立は社長を来る4月に東原敏明専務(58歳)に交代すると発表した。
但し、中西氏が会長兼CEOに、東原氏が社長兼COOに就任すること、東原氏が中西氏の子飼いの部下だったことから、当分は中西体制が続くと見て良い。
川村隆会長(74歳)は米倉経団連会長から次期経団連会長への就任を懇請されていたが、相談役就任とともに経団連副会長を辞し、財界活動から身を引くことを固辞した。
川村氏は日立復活の道筋を整えた。それを推進したのが中西氏だ。氏は切れ者で大胆な施策を躊躇なく断行することで有名だ。ハードディスク駆動装置事業の売却、テレビ自社生産の停止、上場子会社も巻き込む日立グループの再編、鉄道事業など社会インフラ事業の強化、火力発電プラント事業の三菱重工とのJ/V設立などの事業改革・構造改革を推進した。

「金メダルなき総合優勝」の盛衰

昔、日立は「金メダルなき総合優勝」と言われた。どの分野も首位は無かったが、事業分野の幅広さは日本一で2~3位の上位を占めている事業が幾つもあった。
日本経済が伸びていた時代には、事業機会を漏らさず捉え収益を積み重ねて行ける点で、それが日立の強みになっていた。
しかし、1990年代以降の日本経済の停滞・競争激化の時代に入ると、不採算事業を多く抱え込むことになり、強みが弱みに変わった。
2009年3月決算で日立は日本の製造業最悪の7873億円の連結最終赤字を計上した。
急遽、子会社から呼び戻され、日立の回復を託された川村当時社長が掲げたのが「総合電機からの脱却」だった。これを継承した中西社長が集中と選択を進めた。

中西社長の大英断により、この2月に三菱日立パワーシステムズが誕生した。しかし、資本金1000億円の出資比率は三菱重工65%、日立35%であり、日立の火力発電プラント事業部門はこの事業統合に大きな抵抗を示したと聞く。
日立、東芝、三菱重工の3社は発電プラントメーカー御三家と言われていた。発電プラントは発電機と重機器類で構成される。主たる重機器は、火力発電ではボイラーとタービン、原子力発電では原子炉とタービン、水力発電では水車とタービンである。日立は発電機・重機器のいずれもこなす。東芝は電機メーカーで重機器は石川島播磨に依存、三菱重工は機械メーカーで発電機は三菱電機に依存している。何でも手掛ける日立の特色は、ここにも出ていた。

1990年以前の電力会社は設備投資が桁外れで、日本の不況期には公共投資を補完して設備投資を増額した。
電力会社を顧客とした発電プラント御三家はその分安泰でいることができた。そうした構造が今は昔になった。
発電プラントメーカーは、国内電力会社からの安定受注に変わって海外で注文を取らない限り、立ち行かなくなった。
世界で米GE、独シーメンスとの競争に勝てる体制をつくる、それが三菱日立パワーシステムズの誕生となった。

「機械のデパート」からの脱却

選択と集中は伝統的大手企業にも例外なく求められている。
東芝は早くから社内カンパニー制に近い事業部制に移行、経営資源を原子力と半導体の2つに傾斜投入していたが、原子力事業の環境変化で見直しを迫られている。
三菱重工は今大鉈を振るって、「機械のデパート」からの脱却を図ろうとしている。
日立は4月以降、中西会長兼CEO・東原社長兼COO体制となる。中西氏は日立の改革はまだ道半ばと考えているようだ。
この先日立がどんな手を打つのか。どこへ向かっていくのか、眼が離せない。