シニアのための脳の話①―左脳と右脳


大脳は左右2つの半球から成り、脳梁というブリッジでつながっている。左脳が右半身を、右脳が左半身を、交差神経を介してコントロールしている。
左脳と右脳のその他の機能は非対称で、左右で違いがある。

アメリカの脳生理学者エリック・レネバーグによれば、2歳児まで左脳と右脳の機能に違いはない。3歳~13歳の間に左脳に言語野が出来あがる。同時に、左脳は分析認識・言語処理・論理中心の「考える脳」に、右脳は全体認識・画像処理・直観中心の「感じる脳」へと機能分化される。
幼児は母親の口の形をまねて声を発し、それを母親の発語と比較し、修正しながら言葉を身に付けて行く。言葉をliterallyに解釈するのは左脳になるが、声の抑揚や表情や身振りを読み取るのは右脳になる。だから本を読む時はもっぱら左脳が使われるが、会話では両方の脳が使われる。左脳と右脳は分業する以上に協働する。複雑で困難な状況でも、左右の脳が協働することで、高度で的確な判断がなされるということが、最新の脳科学で解明されて来た。
14歳以降になると、大脳の各部位毎の機能や役割が固まって行く。その結果、新たな言語を母国語のように修得したり、音楽の才能を開花させることは望めなくなって来る。レネバーグは、脳には年齢に応じた感受性期があり、臨界期があると唱えた。

さて、ハーバードの脳解剖学者だったジル・ボルト・テイラー(女性)は37歳で脳卒中となり、左脳の広範な範囲にダメージを受けた。その特異な体験を後に「奇跡の脳」という本に書き、タイム誌の「世界に最も影響力のある100人」に選ばれた。
一人住まいの家で脳卒中になったジルは、助けを呼ぼうと名刺を取り出したが、そこに書かれた文字も数字も理解不能になっていた。ジルは名刺にあった形(数字)と同じ形をプッシュホンのボタンの中から探し出して、一つずつ押しハーバードの同僚に受話器を取らせることに成功した。しかし、相手の言葉は理解できず、しゃべった積りが言葉にならなかった。ジルの声にならないうめきを聴いて、勘の働く同僚が何かあったと察知し、やっとのことで病院に急搬送された。そして頭の中に広がった血塊を取り除く手術を受けた。

左脳の機能の過半を失ったジルは右脳中心に世界を体験することになった。言葉も数字も理解できないが、穏やかで不思議な幸福感に満ちていると感じた。自分の身体と外界との境界を認識する機能は実は左脳にあり、そこも機能しなくなったジルには、もはや自分と外界との境界が判らない。自分が世界と溶け合って感じられた。自分という意識「自我」は左脳にあり、左脳は突発事態の把握に懸命、助かるために必死だが、右脳はニルヴァーナ(涅槃)の境地にあり、生き延びたい気もなく、何とも言えない気持ち良さに浸されていたそうだ。

手術後のジルは四六時中眠っている。しゃべりもしない、動きも緩慢で、大人の体をした赤ん坊に戻った。
それからジルのリハビリが始まった。見えてはいるが、それが何か理解できない。右腕はだらりとぶる下がったまま。そういう状態で歩き方を学んだ。言葉を覚え直し、数字の意味を理解した。驚異の回復により、数年後に再び脳科学者として甦った。失われた左脳の機能は、ダメージを免れた部位に再構築された訳である。

ジルは言う。左脳はものごとを分析し、言語化し、組織化する。起こった事象を時系列に並べる。推論し、判断する。計画する。時間管理し、遂行する。リスクを管理する。左脳なしには何事も成し得ないが、左脳は理屈屋で、批判的でもある。
そこへ行くと右脳は肯定的。時間の観念に欠け、いつもhere and nowで幸福である。ものごとは全体イメージで把握する。感受性と直観に富み、創造的。

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自動車関係の会社の要職を歴任、東工大の講師もしていた私の友人が完全退職し、最近木彫に凝っている。仏像を彫り、風景を板彫りする。この夏には上野の都美術館に出品し、私も彼の作品を見に行った。
その彼と飲んでいる時に「退職して時間にゆとりができると右脳中心に使えるようになるね。仕事をしていた時は左脳が右脳を抑制していたが、今は右脳が解放されて来た。」と言った。
なるほど、学校に上がり、就職してからの社会生活を支えるのは左脳に違いない。人生、その過程で、知らず知らずに左脳優位に傾いて行くが、シニアになったら右脳に回帰する。それが案外面白いかも知れない。