夫婦でJICA海外シニアボランティアへ

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そろって海外ボランティアに行かれる候補者ご夫婦からお話をお伺いした。

来年4月から2年間、夫はエクアドルで土地の物産のマーケッティング開発を指導。妻はアルゼンチンで高齢者介護の指導に就く。任務中の2年間に1回は日本への健診帰国が認められている。また受入先との調整が整えば、2週間国外に出ることが認められている。そのチャンスを除けば、夫婦別々の任地でそれぞれのミッションに邁進することになる。

ここに至るまでに、夫婦で築いてきた歴史がある。

夫は長らく小売業界に勤務していたが、定年後は海外で何かをしたいとの願望を持っていた。妻はインテリア・デザイン関係で働いた後、40代半ばで社会福祉士の資格を取り、病院付属の介護相談機関で働くようになっていたが、将来は海外へ出てもよいとの思いを共有していた。

そこで、仕事の合間を縫い、2人そろって日本語教師になるための教習課程を終えた。それと並行して、国際交流協会の活動の一環で外国人に日本語を教えた。また、外国人の若者をホームステイさせ、日本文化を紹介したり、空手有段者のアメリカ人を武道場に連れ歩いたりもした。

夫が定年を迎えるタイミングに合わせて、妻はJICA(国際協力機構)のシニア・ボランティアに応募し、在職のままアルゼンチンに赴任した。1年間、介護福祉の指導・支援に当たった。JICAの制度では配偶者の同行が認められており、夫もアルゼンチンで暮らした。

妻--派遣直前の数ヶ月は在職の仕事に区切りをつけたり、スペイン語の特訓や準備やらで寝る時間もないくらい忙しかったんですよ。

私--アルゼンチンでの仕事はどうでしたか?

妻--まず言葉で散々苦労しました。何をすべきなのか、何を期待されているのか、その確認・調整から始まるんですが、受け手側に明確なイメージがある訳でもなく、互いに手探りで活動内容を決めて行くんです。制度も違うので日本にはデイ・サービスというものがあると言えば、それではそれについて講義をしてもらおうと言う風な感じです。語学の先生をつけていましたので、その先生に逐一スピーチ原稿を直してもらって、ようやく何とか彼らにわかる講義ができたという有様でした。

苦労したが、やり甲斐があり、楽しくもあった1年が過ぎた。

日本に戻ると、またJICAのボランティアに応募した。この時はアルゼンチンとコスタリカの2ヶ所にニーズがあったが、どちらでも対応可と返答したらコスタリカに決定した。

今度は2年間。夫も一緒に同行した。コスタリカではJICAの前任の理学療法士が始めた介護予防体操の指導を任された。それを引き継いだものの、別の介護指導や幅広い文化交流も試したいと提案すると、日本文化にふれる活動を何でもやって欲しいと望まれた。着物の着付け、折紙、日本の歌唱指導などいろいろとやったところ、これが大いに受けた。ふれ合う人たちを活気づけ、幸せな気分にした。やりたいと思い描いていたことが次々実現できた気がした。

  • お別れパーティー

    JICAシニアボランティア in コスタリカお別れパーティー
  • 独立記念日

    JICAシニアボランティア in コスタリカ独立記念日

夫--私も妻の活動を見て、何かで貢献したいと思ったんです。JICAの求人にメキシコのオアハカ地方で特産品・民芸品等を活用した村おこし指導というのがあったので応募したのですが、その時は残念ながら不採用になりました。

コスタリカの2年が過ぎた後に、妻は短期(5ヶ月間)のボランティアで再びアルゼンチンに行った。受け手はカトリック系教育機関で、地域の自治体と連携して様々な福祉事業を担っていたので、高齢者介護関係や障害者特別支援学校・教員養成などに幅広く係った。

今回、夫婦ともに2年間のボランティアに応募し、妻は短期のボランティアの受け手が待つアルゼンチンへ。

夫はエクアドルの世界遺産クエンカ歴史地区で工芸品の製品企画や販売促進活動に携わる。受け手は地方自治体の産業振興外郭団体で、クエンカの博物館や地元大学のデザイン学科などとも連携する体制が敷かれていると聞かされた。

夫--どんな立場で何をするのか、実際には着任してから全てスタートです。計画や計算の通りにはいかないと承知していますし、その方がやり甲斐もあります。

妻--アルゼンチンでは、短期の受け手でもあった福祉事業の女性トップと仕事をするんです。彼女はアルゼンチンは個人主義で人の結びつきが弱いので、例えば市庁舎の前の広場で朝そろって体操する地域コミュニティ活動を広めたい、そうした活動の企画・指導もやって欲しいなんて言って来ているんですのよ。

ベテラン2人は面白そうに笑った。

定年のその先の人生を思い描き、その通りに駆け抜けている活き活きしたお二人の話を聴き終えて、爽やかな感動を覚えた。